積み木はいつからある?100年以上続く「積み木」の歴史

積み木はいつからある?100年以上続く「積み木」の歴史

子どものおもちゃとして、昔から親しまれている「積み木」。

四角い木を積んだり、並べたり、家やお城を作ったり……。

今では当たり前のように見かける積み木ですが、

「積み木って、いったいいつからあるんだろう?」

と考えたことはありませんか?

実は、積み木の歴史をたどっていくと、幼児教育の歴史だけでなく、日本の木のおもちゃの文化にもつながっていくのです!

今回は、積み木がどのように生まれ、日本にどのように伝わり、現在の積み木へとつながっていったのかを、少し深掘りしてみましょう。


積み木の起源は、実ははっきりしていない?

まず気になるのが、

「世界で最初の積み木は、いつ作られたの?」

ということ。

実は、「これが世界で最初の積み木です」と特定できるものはありません。

木片や石などを「積む」「並べる」という行為そのものは、とてもシンプルなもの。

子どもが手に取れるものがあれば、

「これ、積めるかな?」

と試してみる。

そんな遊びは、「積み木」というおもちゃが生まれるよりずっと前から、人々の身近にあったと考えることもできます。

ただし、現在のように、

「子どもの成長や学びのための教育玩具」として形や大きさを考えられた積み木

が発展するうえで、大きな役割を果たした人物がいます。

それが、ドイツの教育者、フリードリヒ・フレーベルです。


「幼稚園」を生み出したフレーベル

フリードリヒ・フレーベル(1782~1852年)は、ドイツの教育者です。

幼児教育の歴史を語るうえで欠かせない人物で、現在の「幼稚園(Kindergarten)」という考え方にも大きな影響を与えました。

フレーベルは、子どもに知識を一方的に教えるのではなく、

子ども自身が遊びや活動を通して学ぶこと

を重視しました。

その考えを具体化したもののひとつが、「恩物(おんぶつ)」です。

恩物は、ドイツ語の「Gabe(ガーベ)」、英語では「Gift」と呼ばれる教育遊具を日本語にしたもの。

球、立方体、直方体などの基本的な形を使って、子どもがさまざまな遊びや構成活動を行えるように考えられていました。

フレーベルの教育遺産、並びにそれに関わる教育思想・教育制度・教育運動の研究を行っている学会(日本ペスタロッチー・フレーベル学会)も、フレーベルが考案した教育遊具について「現在でいう積み木の原型」と紹介しています。


「恩物」は、今の積み木と同じもの?

ここは少し注意が必要です。

フレーベルの恩物は、現在の積み木とよく似ていますが、「恩物=現代の積み木そのもの」ではありません。

恩物には20種類の教材があり、立方体や直方体などの積み木的なものだけでなく、板、棒、ひも、切り紙、折り紙など、さまざまな教材が含まれていました。

そのため、恩物は「積み木のおもちゃ」というより、

子どもが形・数・大きさ・色などを体験しながら学ぶための教育遊具

だったと考えるとわかりやすいでしょう。

例えば、第三~第六恩物には「積木」が含まれており、現在の積み木にも通じるような、立方体を基準とした関係性のある形・大きさで作られていました。


では、日本に積み木がやってきたのはいつ?

ここは、今回の一番気になるところですよね。

日本で幼児教育の中に積み木が登場した時期について、日本大百科全書では、

1876年(明治9年)

に東京女子師範学校附属幼稚園が開設されたとき、とされています。

そして、このとき使われていた積み木は、主にフレーベルの「恩物」でした。

東京女子師範学校附属幼稚園は、現在のお茶の水女子大学附属幼稚園につながる、日本で最初の幼稚園です。

当時の保育は、フレーベルの幼稚園教育の方法を取り入れて行われ、恩物が保育内容の中心に置かれていました。

つまり、

日本で現在の積み木につながる教育玩具が幼児教育の場に登場したのは、明治時代だった

ということになります。


当時の幼稚園では、本当に「積み木」をしていた?

ここがさらに面白いところです。

「明治時代に積み木があった」と言われても、

「本当に今みたいに積んで遊んでいたの?」

と思いますよね。

実は、当時の幼稚園の保育内容を記した資料から、その様子をうかがうことができます。

港区教育委員会のデジタル教育史には、明治期の幼稚園における指導案として、

「開誘室―恩物―積木」

という活動が記録されています。

つまり、恩物を使った活動の中に、はっきりと「積木」という時間が設けられていたのです。

しかも、その活動は一度きりではありません。

当時は、20~50分ほどの時間をかけて、恩物などを使った活動を毎日繰り返していたことも記録されています。

今から150年近く前の子どもたちも、幼稚園で積み木に触れていた。

そう考えると、なんだか不思議な感じがしますね。


明治時代、日本に広がっていった「恩物」

東京女子師範学校附属幼稚園で取り入れられたフレーベル式の幼児教育は、その後、日本の幼稚園教育にも大きな影響を与えていきます。

当時はまだ幼稚園に関する統一的な法令がなかったため、東京女子師範学校附属幼稚園の規則などが、各地の幼稚園の参考にされました。

つまり、東京の一つの幼稚園で始まったフレーベル式の教育が、少しずつ全国へ広がっていったわけです。

そして、その中で「恩物」も日本の幼児教育に定着していきました。


日本には、積み木が来る前から「木のおもちゃ」があった?

では、それ以前の日本には、子ども向けの木のおもちゃはなかったのでしょうか?

もちろん、そんなことはありません。

ただし、今回確認できた資料からは、「江戸時代の日本に、現代の積み木と同じような積み木があった」

とは断定できませんでした。

一方で、日本には昔から、身近な木や竹などを使った玩具の文化がありました。

日本玩具博物館によると、江戸時代後期から明治時代にかけて、日本各地で紙・木・竹など身近な素材を使った郷土玩具が作られていました。

木製玩具も各地にあり、東北地方などでは木地師が作るこけしや木地玩具が発展しています。

例えば、こけしは江戸時代後期の文化・文政期(1804~1830年)頃に、湯治客向けの土産物として生まれたものと考えられています。

また、独楽も日本では古くから親しまれてきた木製玩具のひとつです。

日本玩具博物館によれば、独楽は平安時代以前に中国から朝鮮半島を経て日本へ伝わったとされ、江戸時代には全国各地で地域ごとにさまざまな形の独楽が発展しました。

つまり、

「積み木そのもの」は明治期にフレーベルの教育思想とともに広がっていった一方で、日本にはそれ以前から木を加工して子どもが遊ぶ文化があった

と考えることができますね。


「木で遊ぶ」という文化は、日本にも昔からあった

ここは、積み木の歴史を考えるうえで、とても面白いところです。

積み木が日本に入ってくるより前から、日本では木を使って、

  • 独楽を作る

  • こけしを作る

  • 人形を作る

  • さまざまな郷土玩具を作る

といった文化がありました。

木は、日本人の暮らしにとても身近な素材だったのです。

だからこそ、明治時代に西洋から「教育玩具としての積み木」という新しい考え方が入ってきたとき、日本の木の文化とも相性がよかったのかもしれませんね。


そして「積み木」は日本で少しずつ進化していく

フレーベルの恩物がそのまま現代の積み木になったわけではありません。

幼児教育の考え方が変化するとともに、積み木の使われ方も変わっていきました。

フレーベルの恩物では、保育者が示した課題に沿って形を作るなど、教育的な意図がかなり強くありました。

その後、幼児教育の中では、子ども自身の自由な活動や創造性を重視する方向へと考え方が変化していきます。

東京大学の研究でも、明治期の「恩物中心」の保育から、その後の積み木のあり方へと変化していったことが論じられています。

現在の積み木が、

「何を作るかは自由!」「好きなように積んでみよう!」

というスタイルになっているのも、こうした幼児教育の歴史の背景があるのですね。


100年以上経っても、積み木がなくならない理由

考えてみると、積み木はとてもシンプルです。

電池もいりません。

音も出ません。

画面もありません。

それでも、100年以上にわたって子どもたちに遊ばれ続けています。

その理由のひとつは、「遊び方が決まっていない」ことなのかもしれません。

積み木を10個渡されたら、

ある子は高く積みます。

ある子は横に並べます。

ある子はお家を作ります。

ある子は全部崩します。

そして、同じ子でも、昨日と今日では作るものが違うかもしれません。

どれも間違いではありません。

正解が決められていないからこそ、子ども自身の発想がそのまま遊びになります。


積み木は「小さな建築」?

積み木を見ていると、ちょっと不思議なことがあります。

最初はただの木のかたまりなのに、

積んで、

並べて、

組み合わせていくと、

いつの間にか「家」や「街」や「タワー」になっていく。

これは、考えてみれば小さな建築のようなものです。

「ここに置いたら倒れるかな?」

「この形なら橋になるかな?」

「もっと高くするにはどうすればいい?」

子どもは遊びながら、ものの大きさや重さ、バランス、位置関係などを体験しています。

だから積み木は、単に「積むだけのおもちゃ」ではありません。

自分の頭の中にあるイメージを、手を使って現実の形にしていく遊び

でもあるのです。


150年前の子どもと、今の子ども

1876年、明治9年。

日本で最初の幼稚園が開設されたとき、そこにはフレーベルの「恩物」がありました。

そして、当時の保育記録には「恩物―積木」という活動が残されています。

それから約150年。

子どもを取り巻く環境は、大きく変わりました。

遊ぶ場所も、

おもちゃも、

教育の方法も、

生活そのものも、

当時とはまったく違います。

それでも、積み木を前にすると、

「これを積んだらどうなるかな?」

「もっと高くできるかな?」

「今度はお家を作ってみよう!」

と、子どもは自分の手を動かし始めます。

もしかすると、積み木には、

時代が変わっても変わらない、子どもの「つくりたい」という気持ち

が詰まっているのかもしれません。


まとめ

今回は、積み木の起源から、日本に積み木が伝わってきた歴史をご紹介しました。

積み木そのものの「世界最初」を特定することはできません。

一方で、現在の積み木につながる教育玩具として大きな役割を果たしたのが、19世紀のドイツの教育者フレーベルが考案した「恩物」でした。

そして日本では、1876年(明治9年)に開設された東京女子師範学校附属幼稚園で恩物が保育の中心に取り入れられ、その中には積み木も含まれていました。

さらに当時の保育記録には「恩物―積木」という活動まで残されています。

一方、日本にはそれ以前から、独楽やこけしなど、木を使ったさまざまな玩具の文化がありました。

そう考えると、現在の積み木は、

西洋から伝わった幼児教育の考え方と、日本に昔からあった木の文化。

その両方の流れの中で、日本に根付いていったのかもしれません。

そして今、私たちが子どもと一緒に積み木で遊ぶとき。

手にしているのは、ただの木のかたまりではなく、150年近くにわたって受け継がれてきた「遊びながら学ぶ」という考え方の一つの形なのかもしれません。

次回は、そんな積み木を作る「木」に注目してみたいと思います。

「杉と檜って、何が違うの?」

同じ木でも、硬さや重さ、香り、木目などにはいろいろな違いがあります。

「つみきーずのつみき」に使われている国産杉と国産檜についても、詳しくご紹介しますね。